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台神明神社 左義長(どんど焼き)

 

 2018年1月14日午前10時~12時、今年も台神明神社で左義長(どんど焼き)が行われました。左義長はその日が平日であろうと祝祭日であろうと毎年1月14日に執り行われております。

 神明神社は、1570年頃に別の場所に創建され、その後現在の場所に移されましたが、どれくらい前からこの催事が行われていたのか? 文章による記録がありませんが、恐らく神明神社が現在の場所に移された頃、つまり今から100年程前には現在の場所で始まっていたと推測されます。

 我が家に残る写真からは50年前には確実に執り行われていたことがわかります。左は、現在56歳の私が4歳の時の写真です。私が右手にもっているのは、どんど焼きで使うミツマタの生木にさした三色団子。三色とは白・赤・緑のこと。

 現在では考えられないことかもしれませんが、50年前には神明神社の境内ではなく神社の階段前、いまは交差点になっている場所で正月飾りを燃やしてその残り火で三色団子を焼いていました。交差点でお飾りを燃やしても問題が無かったほど交通量の少ない、のどかな時代だったわけです。

 また、この催事はお年寄りが幼い子どもの手をひいて参加することが多く、私も祖母に手を引かれて、恐る恐る残り火に三色団子をかざしていたことを覚えております。このような体験から、「火は恐ろしいもの」「祖母は優しい人」といった記憶が、私の心に刻まれていったのかもしれません。

 時は過ぎ、私が子どもの頃から半世紀近くたっても、場所を神社の境内にかえて左義長(どんど焼き)は毎年行われておりました。しかし、この催事が行われる時間帯(午前中)には、子ども達は保育園や幼稚園に預けられ、小学生も学校に通っており、また小さい子の手を引いて左義長(どんど焼き)に参加されるお年寄りも殆どいなくなってしまいました。

 その結果、10年ほど前には大量の正月飾りを氏子さんが小人数で処理をする状態になっており、左義長(どんど焼き)が平日にあたる場合はさらに参加できる氏子さんが少なく大変なご苦労をしておりました。

 正月飾りだけでなく中にはゴミを置いてゆく不届き者も出てくる始末で、このままでは大切な伝統行事が台無しになってしまうと思っておりました。

 そこで6年(7年?)前、総代さんに「子どもたちが参加できるように左義長(どんど焼き)の時間を午後に、子ども達が下校してきた時に、ずらすことはできないだろうか?」と相談したところ、快く承諾していただけました。

 また、三色団子の作り方を知っている方も殆どいなくなってしまったので、子ども会のお母さん方を中心に有志を募り、数回「台公会堂」で「団子づくり教室」を開催しました。家事仕事に慣れているお母さんたちにとって団子づくりは、それほど難しい作業ではないようで、その後は有志のお母さん方が団子の作り方を広め、今では自主的に団子づくりを行ってくれているようです。

 実は、団子づくりよりも大変なのが、三色団子を刺す生木を入手することです。できればミツマタの生木がベストです。これは火にかざしても燃えず、ミツマタは枝が三方向に分かれており三色の団子を刺すのに都合が良いからです。ミツマタに限定するのは現在では大変難しいため他の種類の木になってしまっていますが、有志の方が毎年15本程度、生木を山からとってきてくださいます。

 2018年、今年は1月14日が日曜日だったため、例年よりも多くの方々が左義長(どんど焼き)に参加されました(50人程度?)。神社の氏子からみれば、お正月飾りを燃やす際には藁や紙、そしてプラスチックなどを分別する作業を参加した大勢の方々に手伝ってもらえ、また寂れかけていた伝統行事が再びにぎやかに執り行われるようになり、嬉しく感じております。また、参加される方々からみれば、古くからこの地に残る伝統行事に参加することができ、子供達にとって良い想い出となることで喜ばれております。
 想い出はお金で買えない大切な宝物です。左義長(どんと焼き)での想い出が、地域にとって、子供達にとって、これからも大切な宝物として残されてゆくことを切に願います。

記事/写真 小野田 康成(神明神社 氏子)
デザイン   吉田紳哉

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